SPECIAL

鯨の鱗

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目次

一場 病院の待合室      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 7

二場 病院の診察室      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 12

三場 路地裏         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 22

四場 ネットカフェ      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 28

五場 路地裏         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 40

六場 迷走部屋        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 46

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七場 路地裏         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 56

八場 病院の診察室      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 62

九場 ネットカフェの個室   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 66

十場 教室          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 68

十一場 海底         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 76

十二場 巣          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 82

十三場 路地裏        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 88

十四場 病院の診察室     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 94

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十五場 病室         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 96

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一場 病院の待合室

病院の待合室で男Aはイヤホンをして椅子に座っている。静かに雨音が聞こえる。

MC
みなさんこんにちは。それではお便りのコーナーです。このコーナーではこちらに寄せられたお便りを私が紹介していきます。それでは早速やっていきましょう。まず本日最初のお便りです。ラジオネーム、イケメン牛蒡さんからです。「僕はコンビニで働いているんですが、コロナとか社会的距離とか言われて人が冷たく見えてしまってなんだか疲れてしまいました。子供の時に戻れるような曲をリクエストします。」なるほど。確かにそうですよね。最近なんだか疲れてしまいますよね。子供の時に戻れる曲ですか。わかりました。それではそんなイケメン牛蒡さんにはこちらの曲をお届けします。それではどうぞ。翼をください。

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「翼をください」冒頭の十秒ほどが流れるが、雨音もそれに比例して大きくなり、ラジオが聞き取りにくくなる。

男A
うるさい!

男Aがイヤホンを取ると雨音は消え、「0番でお待ちの方ー。0番でお待ちの方ー。」と言うアナウンス音が聞こえる。男Aが受付の方を見る。背後には医者がいる。

男A
(背後の医者に気づき)うわっ!びっくりした︙。

医者はじっと男Aを見ている。

男A
な、なんですか?
医者
(椅子を指し示しながら)あちらの椅子でお待ちください。
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男A
あぁ。はい。

男Aは椅子の方へキャリーケースをひきずりながら歩いて行く。途中、イヤホンを耳につける。雨音が静かに聞こえてくる。

MC
久しぶりに聞きましたね。小学校以来でしょうか。これを歌っていた子供の頃はみんななんだか優しかったような気がします。嫌なことがあっても大きな口開けてこの曲歌ったりしました。そしたら嫌なことなんか忘れてハッピーみたいな。ということで、イケメン牛蒡さんには楽しいプレゼントをご用意しました。ぜひ使ってみてください。はい。それでは次は君!

男A
キミってのは斬新なペンネームだなー。
違う違う!君だよ君!

黒と呼ばれる女性が男Aの横の壁から手を突き出し、男Aのこめかみに指を当て

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る。驚いた男Aが顔をあげると、黒は壁を突き破って出てきた。

男A
は⁉︎ あ!お前なんでこんなところに。
人様をお前呼ばわりなんて、お前一体何時代人だ。(軍隊風に)右向けー右!

男Aは思わず右を向く。


おし。じゃ、頑張って(立ち去る)。
男A
は?え、ちょっと︙。

破れた壁の奥には病室があった。男Aは訝しく思いながらその中に入る。その部屋は簡素だった。部屋の真ん中にはベッドが横たわっており、その上には白い布を被された「もの」があった。ベッドの傍らには白いキャリーケースがある。男Aはしばし煩悶した後、じっと「それ」を見つめる。時間が止まったのかと思うほど経ったあと、男Aは突然動き出し、キャリーケースを開け、「それ」のある

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台に近づき、手をかける。突然飛行機のエンジン音が鳴る。医者は破れた壁を覆うように病室のカーテンを閉める。

医者
あれ?0番さーん(立ち去る)。

病室のカーテンには男Aがキャリーケースに「それ」を詰める影が見える。カーテンは風を受けて揺れている。エンジン音が雨音にかき消されていく。雨音は徐々に消えていく。

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二場 病院の診察室

診察室には向かい合うように椅子が二脚と机がある。

医者
次の方ー。どうぞー。

キャリーケースを引きずる男Aは診察室に入ると椅子に座る。ひどく疲れているようだ。医者は問診票を見ている。

男A
あー。そうなんですよね。何だか耳鳴りっていうんでしょうか。それが何だかすごくて。ラジオとかなんか聞いてても気が散っちゃって。
医者
うーん。で、あの部屋で何してたんです?

雨音が聞こえてくる。

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男A
部屋?
医者
ええ。部屋です。
男A
部屋︙部屋ですか︙。すいません特に思い当たる節がないんですが。え、てか僕耳鳴りのことで来たんですけど。
医者
忘れたんですね?
男A
んー。忘れたも何も身に覚えがないんですよね。
医者
でも知ってるはずですよ。ゆっくり思い出しましょう。あの部屋で何をしましたか?
男A
何って何にもしてないですよ。
医者
何にもしてないわけないじゃないか!行動の前には原因がある。昔の偉い人だって言ってます。(首にかけていた聴診器を手に持ち、わざと床に落とす)。これはなんで落ちたんだと思います?
男A
そりゃあなたが手を離したからだ。
医者
なんで私は手を離しましたか?
男A
そんなことわかりません。
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医者
私にだってわかりません。
男A
はぁ。
医者
わからない時には聞いてみるのがいいと相場が決まっています。ただ状況はよく見ないといけない。癇癪起こして「これだからもう」なんて言われかねない。(聴診器を気遣って)あぁごめんって。今は、ちょうどいいタイミングのようですね。

医者はポケットから別の聴診器を取り出し落とした聴診器にそっと当てる。

男A
(小声で)なんて言っていますか?
医者
ちょっと待ってくださいね、「受け止めて」と言ってます。
男A
どういうことですか?
医者
お客さん。これはただ聞くためのものですよ。尋ねることはできません。そっとです。そーっと。おっ?また何か言っている。(間)こいつはこの床に言っているようですな。
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男A
床ですか。
医者
そう。床は受け止める。何メートル上から落ちたとしても。床が壊れてしまっても。床はその全てで受け止める。
男A
なるほど。
医者
それで?あなたは何をしていたんでしょうかね?

医者が男Aの胸に聴診器を当てると壁を叩くペースの違う音が二つした。

医者
これは、どういう︙。

片方の壁を叩く音のペースが上がる。

男A
どうしたんですか?
医者
聞こえますか?この音が。
男A
心臓の音ですか?
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医者
ええ。ただ1つではない。(間)キミ。食ったな!

舞台面全面が赤く染まり、二つの壁を叩く音は雨の音にかき消されていく。
後方スクリーンにはあおりの視点で一人暮らしの古い畳部屋が映し出される。家具はあまりないが、ゴミで少し散らかっている。机にはパソコンと何かが入ったビニール袋が置かれている。椅子には赤いレインコートがかけられている。女性が映し出される。女性のそばには白いキャリーケースが置かれている。女性は雨の降る外を格子付きの窓越しに見つめて正座している。

雨?もう梅雨になったのね。今日は外に出るのはやめましょう。風邪をひくのは嫌だから(キャリーケースをさする)。早くいらっしゃい。こちらへ。

映像は消え、照明も元に戻る。雨音は静かに聞こえる。

男A
食ったって︙。食うわけ。
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医者
いや食ったんだ。きっとそうさ。1人の中に別の鼓動。しかもペースは違ってる。
男A
そんな︙食うわけないじゃないか!僕は異常なんかじゃない!
医者
君が異常かどうかは問題じゃないんだ。正常な、正当な人間なんていない。ただみんなが決めた許容できる枠があるだけだ。その枠にはこう書いてある「1はただの1であるべきだ。2はあっては、いやあるべきじゃない。」とね。だが君の中にはどうやら2があるようだ。君はもう前にいた枠の中で暮らすなんてことできない。ならどうだ、新しい枠の中で暮らすほかない。君の新しい枠、ここだ(地面を指差す)。
男A
そんなことできません!
医者
なぜです。
男A
二宮さんがしょってるあの薪を、カタツムリの背負ってるあの甲羅を、僕はひきずっているからです(キャリーケースに手を当てる)。
医者
生活というやつかね。
男A
そうとも言います。ただもっと寂しくて、もっと覚悟のこもったものです。
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医者
心配いらない。そのひきずってるものを捨てる必要はない。何しろ君は「ただ今」をもって世に言う「珍しい」人間となった。今日からはここが君の新しい家だ。「ただいま」と言って受付に来ると良い。白衣の天使たちは「まあおかえり」と二度言ってくれるだろう。キミの胸の中の子にもね。食べ物はあまり良いものはいただけないだろうが、糊食うよりはマシだろう。
男A
「ただいま」でもって天使の子になれってことでしょう?拒否します。僕はキューピットではありませんし、黒魔女さんも通りません。
医者
ではなんだというのだい?
男A
僕は僕だ。誰が指図するでもなく。
医者
君はどこへでも行けやしないだろ。その音のせいで。
男A
音?その心臓の音のことですか?
医者
(問診票を見ている)耳鳴り。書いてある。

雨音が消える。

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男A
します。そのためにここに来たんです。さっきも、していました。なんでだか今は聞こえませんが。雨音のような。
医者
雨音のような耳鳴りですか。少し失礼(ライトを取り出して男Aの耳の中を覗こうとする)。
男A
なんですか突然。
医者
いえね。何か詰まってたなんてこともあるもんで。
男A
そんなことがあるはずないでしょう。
医者
見てみないとわかりませんよ。女心はいつでも分からんものです(耳の中を覗く)。こりゃあ詰まってますなあ。
男A
何か入っていましたか?
医者
飛行機が見えます。
男A
飛行機が!また突飛なことを言う先生だ。
医者
いやいや本当なんですよ。これは立派なプロペラ機だ。頭の中に飛行機だなんて新手のボトルシップみたいでいいじゃないですか。
男A
僕の頭が空っぽだって言うんじゃないですよね。なんて失礼な。
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医者
こりゃ失礼。いやね。ですがこの飛行機随分とボロボロですよ。これじゃあ動きはしないですね(何かに気づく)。
男A
どうしたんです。
医者
もしや雨のせいじゃないでしょうか。雨音がするんですよね。
男A
いやまあしますが。
医者
じゃあ当たりだ。今は雨音していないんですよね。雨見えませんもん。
男A
もう付き合ってられません。帰ります。
医者
ちょっとちょっと。
男A
馬鹿馬鹿しい。もう一人のくだりから馬鹿げた話だと思っていましたがうんざりです。僕はなんですか駐車場付きのマンションか何かですか。失礼します。
医者
帰ったところで何も変わりません。あなた耐えられないからここへ来たんじゃないんですか?
男A
わけのわからない話の方が耐えられませんよ。別の医者のところへ行きます。
医者
無理ですよ。どこへ行ったって同じだ。その音はどこまでも追いかけて来ますよ。
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男A
上等です。逃げ切ってやりますよ。
医者
すぐに認めることになります。
男A
その時はその時です。逃避行へ!ブゥウウウウウウン(キャリーケースを持って走り去る)。
医者
これが若いということか︙。
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三場 路地裏

いかにも路地裏な雰囲気漂うエリアに机が一つと椅子が二つある。椅子には占い師が座っている。雨の音は聞こえない。

キャリーケースを引きずる男A、登場。

占い師
ちょっとそこの人!
男A
僕のことですか?
占い師
あんた、占ってあげようか?
男A
僕ですか?いえ結構です。急いでいますし。
占い師
何に急ぐってんだい。前が気がかりなのか、それとも後ろか。急いでるやつはこのどっちかさ。目の前の人参が欲しいのかライオンに食われたくないかのね。
男A
強いて言うなら後ろです。
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占い師
追いかけられてるやつにうまくいったやつはいないね。そんなんじゃ間に合わないよ。
男A
そんなら前です。
占い師
コロコロ変える奴も良くないね。
男A
なんだってんだ。
占い師
それじゃあ、今日から背中を前ってことにしちゃどうかね?
男A
それじゃあ前が見えません。
占い師
前なんていつだって見えてないじゃないか。私ら後ろ向きに進むしかないのさ。そんでもってあーでもないこーでもないって言いながらビクビク進んでっかない。
男A
それじゃあ追って来るやつと目があってしまいます。
占い師
目があったらあったで「ただいま」って言やあ良い。「おかえり」って二度言ってくれるはずさ。
男A
二度?
占い師
もう一人のあんたにさ。さぁさここからは有料だよ。座った座った。
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男Aは席に座る。

占い師
私は手相占いをしてるもんです。以後お見知り置きを。
男A
やけに丁寧じゃあないか。
占い師
そりゃあ上客だからね。どんな奴でも一人で二人分なんてこたありえない。
男A
でもお高いんでしょ?
占い師
そりゃ二人分だからね。でもまけないこたない。そうだね。こんくらいでどうだい(袂から電卓を取り出して金額を見せる)?
男A
これはいけないね。
占い師
明後日来たやつの分も入ってるからね。
男A
無理だな。俺には二宮さんの。
占い師
生活だなんだって言うんだろ?
男A
なんでそれを。
占い師
ふん。何が生活だ。そんなの見せかけだ。周りがそうだからってあんたと同じだなんてわざわざ思わなくていい。あんたはあんただ。
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男A
なんだと?
占い師
お前はお前でしかない。耳をすませ。心の音を聞くんだ。

占い師は胸に手を当てるように男Aに促す。

男A
心の音︙。
占い師
心はあんたの行き先を決める。知らないのか、それは胸にある。

男Aはキャリーケースを見つめ、胸に手を当てた。舞台面全面が赤く染まる。後方スクリーンにはあおりの視点で一人暮らしの古い畳部屋が映し出される。家具はあまりないが、ゴミで少し散らかっている。机にはパソコン。そして何かが入ったビニール袋が置かれている。椅子には赤いレインコートがかけられている。女性が映し出される。女性のそばにはキャリーケースが置かれている。女性は雨の降る外を格子のついた窓越しに見つめて正座している。雨の音が聞こえる。

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あれ?晴れた。誰かが泣いていたのでしょう。最期の朝なのに。ん?ああ起こしてしまったね。どうしたの?泣いてちゃ分からない(キャリーケースに耳を当てる)。そう。そうでした。この雨は。

映像は消え、照明も元に戻る。雨音も消える。

占い師
どうだい聞こえたか。
男A
何か、声が。
占い師
そうか。
男A
(間)僕の心に誰かいるのはわかります。
占い師
そうかい。じゃあ。そいつがどうなるか教えてやろう。
男A
(間)いや、やめときます。
占い師
おお、そうかい。ただお代はいただくよ。もう有料ラインなんだ。ただまけないことはない。まぁこんなもんだね(電卓を見せようとする)。
男A
すいませんが。そいつにつけといてください。
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占い師
は⁉ そいつって誰だ。
男A
僕の中のこいつですよ。さっさと逃げることにします。なんか嫌な予感がするんだ(立ち去る)。
占い師
(呆然としながら)わしはここで待ってるよ。今日が後ろになるまでな。
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四場 ネットカフェ

男Aと黒はネットカフェの個室にいる。傍らにはキャリーケース。インターネットの検索画面が後方のスクリーンに投影されている。「心臓二つ。」「追いかけられる。子供」。

男A
こりゃ、俺はかなり異常だな。
でもお医者様も枠組み次第っておっしゃってたわ。
男A
枠組み次第ってのがわからん。
この世界にはいくつも枠があるって言ってたじゃない。誰にだって受け入れてくれる居場所があるってことよ。
男A
だがなぁ、どこにも受け入れられてない奴もいると思うんだな。
そんなことないわ。ただその時が来てないだけ、それとも来てるのに見えてないだけよ。
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男A
そうかもね。でも結局手に入れられなかったら同じってもんだ。

男Aはネットカフェの個室から出て、そのまま立ち去る。黒も付いて行き立ち去る。
個室の外にはネットカフェの共有スペースがある。男Aと黒が個室から出て行った後、少女が周りを気にしながら同じ男Aのいたのと同じ個室から出てくる。そんな少女を男Bが見つけ、声をかける。

男B
ちょっとちょっとすいません。
少女
え?
男B
こんなところで君何してるの?
少女
私ですか?誕生とでも言いましょうか。
男B
(間)ちょっとよくわからなかったな。
少女
そうでしょうか。
男B
誕生か。なるほどね。今日誕生日ってことね。
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少女
なんかそうとも言えます。
男B
そう。おめでとー。君何歳?
少女
私ですか?今日誕生したので0日目ですね。
男B
(間)うーん困ったな。成人してるってこと?
少女
え︙?ん?
男B
高校生がこんな時間に出歩いていたら補導されることは必至と言えるだろう。すなわちこの状況において考えられることは二つだ。高校生のコスプレをした成人または補導されることを気にしない未成年。だがうちは面倒が嫌なので店の入り口で夜間の未成年者の利用は断っている。つまりここから導かれる回答はただ一つ、君は成人ということだ!
少女
うぇぇ。
男B
紛らわしいじゃないですか。コスプレは家でしてください。
少女
ちょっと。人のことおばさんみたいに。私さっき出て来たばっかのピッチピチよ。
男B
(間)出て来たってどこから出て来たんですか?
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少女
そこよ(男Aのいた個室を指差す)。
男B
君を受付した覚えはないけどなー。
少女
私は先生に神様を探してこいって言われてそこから出て来たの。
男B
神様︙?勘弁してくれよ。こっちは昼のバイト明けで疲れてんだよ。

男A、登場。

男A
あの、どうかしましたか?
男B
ああ。すいません。何かこの人、誕生しただとか、神様がどうのって。あ、なんでもないです。すいません。ごゆっくりどうぞ。
男A
神様︙(少女を見て立ち止まる)。
少女
何か?
男A
あれ?どこかで︙。
少女
あ!(男Aに近づく)
男B
(思わず男Aと少女の間に入って社会的距離を取らせ)失礼しました。
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少女
ちょっと待って。その出で立ちもしかしてあなたが神様?
男A
は?
少女
髪は他に比肩することなく尊いものよ。あなた素晴らしい才能よ。綺麗なくるくる。
男A
ちょっとちょっとよしてくださいよ。へへへ。
男B
え?神様?この人が?
男A
ちょちょ。
男B
こんなのが神様なのか。
男A
こんなってひどいな。
男B
あぁすいません。
男A
ってか僕が神様な訳ないでしょ。
少女
違うんですか(上目遣いで男Aを見る)?
男A
(間)神様です。
少女
ほら~やっぱり。
男B
ちょっと待った!
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男Bは箱を持ってくる。箱の中にはアフロと星形のメガネが入っており、男Bはアフロをかぶる。

男B
俺が神様だ。
少女
まぁ。素晴らしいわ。
男A
ダンス☆マンじゃん。アフロ軍曹の!年代層が絶妙に区切られるボケだわ。
男B
ぶっちゃ毛、これが俺の本当の姿なんだ。
男A
やっぱダンス☆マンですがな。まごうことなき。ぶっちゃ毛って日常会話で使う人いないんよ。
少女
でも困ってしまったわ。これじゃあ神様が二人いることになってしまう。(間)こういうのはどう?神様ってことを私に証明するの。
男A
どっかの映画みたいだな。
男B
いいだろう。
少女
じゃあどっかの映画らしく箱の中身を透視してもらいましょう。
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客席にだけ中身が見える箱が出てくる。中にはリンゴが入っている。

少女
じゃあ、あなた(男Aを指差す)から!
男A
僕か︙これは︙あれか、触っていいタイプのやつか(ビビりながら箱に手を入れる)。わかった。リンゴだな。リンゴだろ。よくある古典的なやつだ。
少女
ブッブー。
男A
えっ⁉ 梨!そっちか~。ん、いや、梨には詳しいぞ。鳥取は梨しかないからな。(しばらくさする)え?リンゴだよね?(見に行く)リンゴじゃん。
少女
この程度のことで動揺するだなんて。ほんとに神様なんですか?

男Aはやられたという表情をして後ろに下がる。

少女
じゃあ次はお兄さん。箱ーのーなかーみーはー︙。
男A
楽しんでるな。
男B
いや、いい。そんな小細工いらん(男Aの個室にあるキャリーケースを指差
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す)。
男B
その中身を当ててやろうじゃないか。この目で(右手の平にマジックで書いた目を見せる)。
少女
手、手に目が!(間)なんかこのノリどっかでやったような。
男A
この中か?なんでまた︙。
男B
中身、見たいよな?

少女は大きく頷き、男Bはキャリーケースを個室から引っ張り出してくる。

男B
怖いのか?
男A
いいさ。当てられやしないんだから。このインチキめ!

男Bは目を閉じ、非常にゆっくりで不思議な動きをする。

男B
見えるぞー見えるぞー。見える見える。
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男Bには神々しい光が当てられる。

男A
ま、眩しい︙!
男B
見えた。
男A
何が見えたんだ?
男B
何も見えなかった。
男A
どう言うことだ?
男B
言葉のままだ。何も見えなかった。その中には何にも入ってないんだ。
男A
そんなことはない!この中には僕の覚悟が入ってる︙はずだ(少女の方を見る)。
男B
おーおー。お客さん。覚悟ですか。何にも入ってないってのにおかしいですね。
男A
そんなはずはない。僕は、(間)これに何か入れたのか?君に(少女にすがるように)君に何かしたのか?

少女は男Aから離れようとし、男Bはそれを助ける。

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男B
あなた何か勘違いしてるんじゃありませんか?何か自分が大きなことをしてしまったような。
男A
(膝をついて)そうかも、しれません。
男B
告白しなさい。あなたの罪を。ここで告白するのです。
男A
僕は︙(長めの間)違う。
男B
はい?
男A
違う。罪じゃない(立ち上がる)。
男B
怖いんですか?裁かれるのが。大丈夫ですよ。私は神です。あなたを愛で包みます。
少女
(膝をついて)愛ってなんですか?
男B
愛とはすなわち情けです。お正月にもらう一杯の甘酒、目も合わさずに譲られた席、尻ポケットに入ってた︙百円玉︙!(尻ポケットから百円玉を甲斐甲斐しく取り出すが地面の穴に落としてしまう。だが穴からはペットボトルが出てくる)全てが愛。そして全ては情けなのです(ペットボトルには情けは人のためならずと書いてある)。
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男A
そのお情けのために作られたんだ。罪ってやつは。僕のじゃない。これは僕の過去とは関係ない。
男B
まぁいいでしょう。でもわかるはずです。あなたの入れない枠の中ではこれによって一種の愛の循環がなされると。

男Bは尻ポケットからもう一枚百円玉を取り出し男Aに渡す。男Aはそれを受け取り尻ポケットに入れる。

男B
何れにせよそのキャリーケースを開ければわかることです。あなたと世界との関わりが。

男Bはキャリーケースを開けた。しかし入っているのはカビて異臭のする饅頭である。男Bへの神々しい照明が消える。

男A
そんなはず︙(キャリーケースの近くでしゃがみこむ)。
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男B
くさっ!なんて匂いだ!なんだそれ!饅頭⁉ 饅頭入れてやがったのか。ふざけんじゃねぇ!(男Aを蹴る)
男A
痛っ︙(驚きを隠せない)なんで︙。
少女
どういうこと?あなた神様なら饅頭だって分かってたんじゃないの?
男B
いや、これは違って、この人の弱さは異臭を放ってい︙。

少女は落胆して去る。男Aはその場から動けない。

男B
ちっテメェのせいで!(男Aを蹴り、去る)
男A
やっぱりそうだったのか。あの子はあの時の︙でも、なぜ?いや︙(ふらふらと立ち上がり、去る)。
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五場 路地裏

路地裏の椅子には占い師が座っている。
少女、登場。

少女
なんだったんだろうあの人達。
占い師
ちょっとそこのあんた!
少女
私のこと?
占い師
あんた以外誰だってのさ。あんた。占ってあげようか?
少女
私ですか?いえ結構です。えっとぉ︙。
占い師
急いでますんでだろ?しっかりしてくれよあんた。これじゃあこの後の前が後ろで後ろが前の話ができないじゃないか。
少女
前は前だし後ろは後ろ。汚いものは汚いし、綺麗なものは綺麗なの。綺麗は汚いだなんてちょっとわかったふりしてそんなこと言ってみてもそんなのただの錯綜
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よ。そう言えば占いは結構です。
占い師
ずいぶんと話がとぶじゃないか。まぁいい。本題に入ろう。あんたもうすでに占われてるんだよ。代金の勘定が済んでなくてね。
少女
記憶にございません。架空請求ってやつですか?
占い師
誰がそんなしみったれたことするんだ。あんたの連れだよ。連れを占ったんだ。
少女
連れなんていません。
占い師
いるんだなそれが。自分でも自覚してないようだがあんたらはいわば表裏一体の一心同体。今までは心も体も一つ。でもつい最近だ。体は二つになった。
少女
はぁ。まぁなんにせよお勘定なんて知りません。二つが一つだからって私が納得してないもの。そんなの不条理だわ。
占い師
不条理か。よく言うじゃないか。不条理と書いて当たり前と読む。ワタシらはただ今に投げ込まれただけさ。アルジェリアの炎天下、たまたまその時銃を持ってたみたいにね。
少女
でも、そうだとしても、彼はその瞬間を自動販売機みたいな立場で知りえたわ。ワタシはどう?私の状況に「ただいま~」とも言えないわ。
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占い師
「ただいま」は居場所を超える魔女が使うもんだ。赤子のあんたが言う通りはないよ。赤子は横になってただ慈悲という名の栄養をもらうだけだ。
少女
私はこうして立って生活してる。赤ちゃんと一緒にしないで。
占い師
誕生してもまだへその緒は繋がってる。この世に誕生した瞬間から慈悲はトロトロ流れ出るが、それだと赤子はすぐに干からびてしまうからな。そうして母から子へと流れ込む。だから若いやつはピッチピチ、老婆はシワッシワなんだ(グニャグニャしたものを取り出し、床に落とす)。これがその印さ。
少女
何よこれ。
占い師
さっき言ってたじゃないか。母と子供をつなぐものだ。お前とあいつを文字通り結んでいた。
少女
あぁワタシが︙。

男A、登場。ネットカフェで蹴られた位置で先ほどと同じようにうずくまる。雨音が聞こえる。

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男A
痛︙床が冷たい。頭の中、雨の音。堕ちるだけだと言うように。

占い師
お前は生きている。そいつの慈悲を未だ吸ってるからだ。
少女
ねぇ教えて。どうしたらその人に出会えるの?
占い師
もうすでに会っている。見えていないだけなのかもしれんが。
少女
なんとしてでも会いたいわ。
占い師
会ってどうするんだ。
少女
多分その人が神様なの。その人に叶えてもらいたい願いがあるの。
占い師
なるほどいいだろう。それじゃあついてきな。いいところへ案内しよう(両者去る)。

男Aはついて行こうとするがグニャグニャを踏んでこける。

男A
なんだ︙これ。ああ知ってる。僕とあの人を結んでいた︙。それとも僕とあの子を︙?
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男Aが頭をあげると黒がいる。黒は携帯電話を男Aに渡す。男Aは電話をする。電話が終わるとコンビニ店員の格好をした男Bが饅頭の入ったビニール袋を持って登場する。

男B
大丈夫ですかお客さん!忘れ物ですよ。
男A
あっすいません。(間)これ︙(尻ポケットに入っていた百円玉を渡す)。
男B
え⁉ いやいや、受け取れませんって。
男A
いいんです。僕には必要のない循環です。他の必要としている人に渡してください。
男B
(最初受け取ることを渋るが堪忍して受け取り、百円玉を尻ポケットに入れる)旅行にでも行かれるんですか?
男A
イカれた旅行に行きます。
男B
新幹線?
男A
逃避行です。
男B
飛ぶんですか?
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男A
風が出てきた。
男B
プロペラで?
男A
夢をひきずって(イヤホンを耳につける)。

両者、去る。
雨音は消える。

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六場 迷走部屋

少女と占い師は部屋の入り口にいる。入り口には迷走部屋と書かれている。

少女
迷走部屋︙字違いません?
占い師
いや合ってる。
少女
それは失礼。
占い師
ここは迷走部屋という。
少女
見ればわかりますね。
占い師
今からお前は日が沈むまでは瞑想に耽り、日が沈んだら儂の手伝いをしてもらう。それで占いの代金としてやろう。
少女
夜に手伝い?そんなの聞いてませんよ!
占い師
いやいや。旨味はあるぞ。手伝いをすることで確実に神様に近づける。
少女
うう︙。まぁそういうことなら。
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占い師が迷走部屋の扉を開ける。
迷走部屋は一人暮らしの古い畳部屋で、家具はあまりないが、ゴミで少し散らかっている。机にはパソコンと何かが入ったビニール袋が置かれている。椅子には赤いレインコートがかけられている。壁には様々な言葉が書かれた紙が一面に貼られていた。

少女
(貼り紙を見ながら)迷走してるわ。
占い師
よしじゃあね、迷走する前に覚えといてもらいたいことがある。
少女
なんですか?
占い師
端的に言って今からの旅は追いかける旅の追う飛行。追手の追うに空飛ぶ飛行。前を後ろに後ろは前に。過去をぐんぐん飛行する。
少女
それじゃあどんどん離れて行ってしまうわ。
占い師
そんなことはない。過去を進めば未来につながる。永劫回帰の輪廻の輪。ぐるっと回って先になる。
少女
過去が未来に繋がってるっていうの?
48
占い師
そうさ。でもどこぞの歴史学者が言うようなチンケなもんじゃない。いわば本当の学際。現在さえも打ち壊す再編成の追う飛行だ。
少女
わかったわ。それで?
占い師
お前が行き着く場所はリンゴの罪につながる過去でも、完全を目指す未来とも繋がらないただの今だ。もっとも、まだ過去が永遠に振り続ける雨の中と言っていいが。
少女
雨?
占い師
ああ。ただ、上から下にとは限らない。落ちてもいるし登ってもいる。
少女
よくわからないわ。
占い師
そうだろう。だがいずれ分かる。
少女
(間)わかったわ。
占い師
忠告するがその流れには乗ってはいけない。叫び続けろ。いまを乗り越えられるその瞬間まで(部屋から出ていく)。

少女、部屋の中に座る。

49

ゆっくりと照明が落ちていくと、声がする。迷走部屋の壁の張り紙の言葉(迷走部屋の声)が静かに聞こえ、程なくして聞こえなくなる。照明がつく。

ほぼ正方形のエリアに横になった直方体と大きめの棚が置かれている。
男Bはマスクをしてコンビニ店員の服を着て近くに立っている。

男B
あっ。また私服のまま。これちゃんと着てくださいよ。ダセーですけど。
少女
ここ︙。
男B
寝ぼけてんですか?一応バイト中ですよ。徹夜ですか?
少女
いえ、そんなことは(戸惑いながらも制服を着、マスクをつける)。
男B
レジお願いしてもらっていいですか?俺は品出ししますね。
少女
ありがとうございます︙?

二人はしばし作業をする。

50
男B
(品出しをしながら)いやー。やっぱ和菓子は売れ残りますね。
少女
あー。そうなんですか?
男B
そりゃあもう。無くなる時は一度になくなるんですけどね。これなんて俺が品出ししてそのまんま。もう売れないんで饅頭なんかは一個しか発注してないですもん(値引きシールを貼るなどの作業をしばし行う)。なんか、最近楽しくないんですよね。
少女
そうなんですか。
男B
コロナでマスク、距離を取れって。クセになっちゃいましたよ。距離近い人見たら距離取らせようとしちゃいますもん。
少女
うわ。自粛警官みたいですね。あんまり流行りませんよ。
男B
まぁそうなんですけどね。(間)あーコロナもバイトもめんどくセー。子供の頃に戻りてー。あ、そうそう。少年の心を取り戻そうと手にこんなの書いちゃいましたよ(右手にマジックで書いた目を見せる)。
少女
手、手に目がー。って、えっ︙何歳児ですか?
男B
やっぱそういう反応になりますよね。でもこれとれなくて。
51
少女
あーあー。(間)趣味とか見つけたらどうですか?ゲームとか。漫画、テレビ、あとは。
男B
ラジオ!
少女
ラジオですか。深夜ラジオとか聞いてるんですか?
男B
聞いてます聞いてます。この前なんか投稿読まれましたもん。最近楽しくない、子供の頃に戻りたいって。そしたらなんでか翼をください流されました。
少女
翼をくださいですか。そりゃまた。よかったですね。趣味あるんじゃないですか。
男B
ほんとですね。案外見えてないもんなんだな。(間)なんか、時々わからなくなっちゃって、こう、人と会わないと。
少女
そうですよね。私なんて一人暮らしだから話す相手もいないし。
男B
なんていうんですかね。悪い意味で目の前の人と比べれないっていうか。いちいちこれは不要なんじゃないかとか。これな急ぎなことではないんじゃないかとか考えちゃって。そうやって部屋籠ってる時比べる相手って、こういう饅頭買うような何処かにいるかもしれない誰かみたいな。ほんとは目の前にいる人見ないと
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いけないのに。饅頭も値引きシール貼られるために作られたはずじゃないのにな。

少女、うつむいている。
客として男A、黒が来店する。男Aはキャリーケースを持っている。

少女
いらっしゃいませ。

男Aは店内をうろうろし饅頭を持ってレジに来る。

男B
あっ。
少女
三割引きで62円でございます。

男Aは無言で百円を払う。お釣りは募金箱に入れて退店。募金箱には「素晴らしい未来へ」と書いてある。買った饅頭の袋を忘れる。

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少女
ありがとうございまーす。
男B
えっ!お客さーん!(饅頭の入ったビニールを持って追いかける)。
郵便の受け取りに来たんですけど。
少女
お客様申し訳ございません。郵便物の受け渡しのサービスは実施していないんです。大変申し訳ありません。
いえ?届いていると思いますよ。二つ。

少女は足元に何かあるのを感じ、レジ下を覗く。下にはダンボール箱が二つ置いてある。

少女
こちらでしょうか?
そうね。よかったわ。開けてくれる?あ、もう一つはさっきの店員さんにね。

少女は怪しみながら箱を開ける。

54
次はこれ。
少女
え?(箱から白い固定電話を取り出す)
それじゃ。
少女
え、ちょっと。これは。
そんなの決まってるじゃない。

電話が鳴る。
黒は少女に受話器を取るように身振りで示し、少女は促されるまま受話器を取る。男Aの声で「君は誰だ」と聞こえる。

少女
え︙(その場で固まる)。

男B、登場。

男B
あれ?どこ行ったんだ?ん?なんだこれ。リスナー様へのプレゼント?俺あて
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か?(箱を開けてアフロのカツラを取り出し、被ったまま立ち去る)
少女
(気がついて)ほえ?コンビニは︙(自分の体を見る。コンビニの服を着ている)。
少女
夢とかではない︙。
占い師
(部屋に入ってきて)おお。戻ってたか。えらい洒落たもんを着てるんだね。会えたかい?
少女
いいえ。
占い師
まあそんなもんだ。よしじゃあ手伝ってくれ。

両者、迷走部屋を出る。

56

七場 路地裏

占い師と少女は路地裏に移動する。少女は電話を携えている。

少女
占いなんてやったことないんですけど。
占い師
いいよいいよそんなの。最初のうちは手伝ってやるからさ。
少女
横にいてくれるんですか?
占い師
それじゃあ佐村なんとかだなんて言われかねんだろ。そこの隅にいて教えてやんよ。
少女
それじゃあ聞こえないわ。
占い師
ふっふっふー。これを見な。(糸のついた紙コップを取り出して)糸電話って知ってるかい?こいつがあれば、わしの声がもう片方から聞こえるよ。
少女
まあすごい!もう片方はどこにあるのかしら?
占い師
これだよ(手に持っているもう一方を渡す)、使いな。
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少女は早速耳に当てて聞いてみる。

占い師
(紙コップに口を当てて)お前は占い師だー。お前は占い師だー。
少女
まあすごい!聞こえるわ!
占い師
すごいだろう。よく聞こえるだろう。
少女
ええ。まるで近くで喋ってるみたいだったわ。
占い師
そうだろうそうだろう。おっと。そうだ、渡すものがあるんだった。

占い師は持っていた大きなフードのついた赤い上着を少女に渡す。

少女
いい匂いね。貸してくれるの?(上着を着つつフードも被る)
占い師
そうだね。それがないと占い師にはなれないんだ。それに雰囲気もぶち壊しだしね。おっと。お客さんだ。

占い師、立ち去る。

58

キャリーケースを持って男A、登場。

男A
ここはなんだか見たことがあるところだな。
少女
やぁやぁお兄さん。占いなんていかが?
男A
占い?もしかして(声のする方へ行ってみる)。
男A
なんだ人違いか。
少女
私を誰かと間違えているんです?
男A
方位磁石のような人物だ。
少女
探しているんですか?
男A
ああ。いるべき場所へ帰ろうと思って。
少女
お家です?
男A
お家になるはずだったところってとこだね。ただいまと言えばお帰りと二度言ってくれる。
少女
二度もですか。そりゃまたお得ですね。
男A
僕は一生そこで過ごさないとならなくなるけどね。
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少女
そんなところになぜ戻るんです?
男A
なぜ、か。疲れたからってのが近いかもしれない。
少女
上京したけど夢破れみたいな?
男A
(間)夢。あの子は夢だったのかもしれない。僕にとっては、だけど。
少女
あの子?
男A
過去の罪のような夢のような。この中に、入っていた。はずだった。
少女
この中︙。

両者、キャリーケースを見る。

男A
まぁもういいんだ。僕はどうもその子に追いかけられてるらしい。僕に願いを叶えてもらうために。でもね気づいちゃったんだよ。アフロのやつに腹蹴られて床にも冷たくされて。僕はそんなたいそうな奴じゃない。自分の夢だって満足に引っ張れないのに他人の夢まで背負えない。だからこの追いかけっこから逃げることにした。時間止まったお家で静かに過ごすことにするよ。最近とにかくうるさ
60
いんだ。
少女
そんな。あなたもしかして︙。
男A
もし神様探してる人が来たら「さようなら」と伝えてくれ。

男A、立ち去る。

少女
ちょっと。待って!

電話が鳴る。少女は立ち止まり恐る恐る受話器を取る。雨音が静かに聞こえてくる。

電話口
あどうも。ウベールイーツです。近くまでついたんですけど。
あー。ありがとうございます。玄関の近くにおいといてください。
電話口
承知しました。ご利用ありがとうございました。よろしければ配達のフィードバックなどいただければと思います。
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あー。わかりました。

赤、立ち去る。

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八場 病院の診察室

診察室では医者と男Aが向かい合って座っている。男Aはキャリーケースを携えている。
雨の音が静かに聞こえてくる。

医者
それでなんでまた戻ってきたんです。逃避行をするんじゃなかったんですか。
男A
僕は声のする方から逃げていました。後ろ向きにね。
医者
いかんねそれは。逃げるならせめて前向きじゃないと。
男A
気持ちは前向きですよ。でも顔は来た道を睨んでる。
医者
それじゃあ追っ手と目があっちまいますな。
男A
だからここに戻って来ました。
医者
目があったんですか。
男A
ええ。あそこで見たあの獰猛な目を忘れられません。
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医者
サメにでも追いかけられましたか?
男A
サメ︙。いましたね。腹を、蹴られました。
医者
そらあまた酷い目にあいましたね。
男A
あそこは酷いところでしたよ。意味のない争い、偽物の神様、腐った饅頭。
医者
自分を見つめる視線に自信を無くしたと。
男A
ええ。僕は初めここに来たときどうも勘違いをしていたらしいんです。
医者
というと?
男A
僕がここから飛び去った時、自分の異常性から逃げていた。実際はすべて自分から出たものなのに。
医者
ですが、あなたの言ってることは少し疑問ですね。私は確かにこの耳で聞いたんです。あなたから鳴ってくる二つの鼓動を。つまりはそれはあなたの中から聞こえてたんだ。
男A
だが目が合った。
医者
どうも変な話です。まるであなたから件の音の持ち主が飛び出したみたいじゃないですか。
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男A
ええ。まるでそうです。まるでそうだし、実際生まれたんだ。
医者
なるほど。では耳鳴りはどうです?
男A
雨音が。今も。
医者
なるほど。(間)どれ、わからない時は聞くに限ります。付け足すようですが優しく。下手(したて)に出とけば評価は上がります(聴診器を男Aの胸に当てる)。

壁を叩く音が一つだけ聞こえる。

医者
いたって正常と言うほかありませんな。それじゃあ本題に。えー結論から申しますともはや私たちはあなた様に二度とはおかえりと言うことはありません。ここではおかえりは二度言うのが「ノーマル」だからです。
男A
つまり︙?
医者
入院はなしです。
男A
そんな︙でも雨音は聞こえるんです。
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医者
二つの鼓動が聞こえる人は「珍し」くても耳鳴りがする人は実は多くいます。幼少期は気づかなくても実は常に聞こえています。問題は独り立ちしてからです。歳をとるほどに大きくなる。帰りなさい。自分の居場所へ。だが、前向きにね。進行方向を見とかないとその先に大きな水たまりがあっても気づかないので。

男A、立ち去る。 雨音が消える。

66

九場 ネットカフェの個室

個室には男Aと黒がいる。傍らにはキャリーケースが置かれている。

男A
鼓動が一つ?どういうことだ。あの子はこの中にいたはずじゃ。
やっぱりあの子がそうだったのよ。

男Aが胸に手を当てていると隣から壁をドンドンと叩かれた。

男A
あーあー。ごめんなさいごめんなさい。
でも気づかないもんよね。
男A
ん?

男Aが部屋から出ると目の前には男性用の小便器が置かれていた。

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男A
は?

生徒Aが隣から出てくるが、男Aのことは見えていないようだ。

生徒A
お前、踏ん張る時声出しすぎだぞっつって、もういないじゃん。
男A
え?
生徒A
ヤベェホームルーム始まっちまう。
男A
えっ。ちょっと︙。
68

十場 教室

そこはいつものネカフェではなく教室であった。ドアがある他に黒板の前には教卓がある。教師が一人、その前には机と椅子が三組あり、生徒が二人座っている。ビデオで配信しているのだろうか、空席の椅子にはビデオが置いてある。
男A、ドアを開けて教室に入る。

教師
なんだなんだ?ポルターガイストか?
生徒A
ポルターが椅子と?椅子と何したってんですか?もしかして︙(ベルトに手をかける)。
生徒B
ちょっとやめてよ。汚らわしい。そんなわけないじゃない。
生徒A
それじゃ、何したんだ?椅子がドアを開けたのかい?
生徒B
椅子が開けるもんですか。ひとりでに開いたのよ。
生徒A
つ、ま、り、だ。ポルターが椅子とちょめちょめするためにロッカーがひとりで
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に開いたってんのかい?
教師
ああ悲しいかな。生徒諸君。これが今の時代というものさ。一人はみんなのためにみんなは一人のために。ああ!なんって素晴らしいことだろうね。ポルターが椅子とちょめちょめするためにときた。何でもかんでもforで繋げようとする僕らの悪い癖さ。一度みんなで溶けあおうじゃないか。全は一、一は全。一人はみんなの「ために」じゃないんだ。往往にしてforはイコールに変えてしまって差し支えないと思うのだがね。
生徒A
ロッカーが開くと言うことはポルターが椅子とチョメチョメしていると言うこと?
生徒B
先生。あまりにも難解です。
教師
うむ。それはそうだな。ではこうしようそこのポルターを男Aとする。
生徒B
空虚をポルターと名付け、それをさらに男Aと名付けるのはなぜでしょうか?
教師
うむ、いい質問だ。これはまた解放というものだ。君はポルターと聞いた時何を思い浮かべる?
生徒A
そうですね。こう、金髪で二重の鼻が高い男ですね。
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教師
なるほどそうか。君は?
生徒B
髪は茶髪で少し巻いている。鼻は日本人的平凡な高さでぱっと見は好青年。かと思えばその一見社交的な性格とは裏腹に実は天性のメンヘラ。外出自粛になった時なんかやることないから寮で一日三回もオ︙。
教師
やめ給え。
男A
おいこいつ絶対見えてるだろ。
教師
このように変に方向性のある言葉を与えると却って事実とは違う方に行ってしまう。
男A
いやめっちゃ近づいてきたけどな。
教師
地上において我々は様々に腑分けされる。その要素は食べやすいように加工され、ミンチとして販売される。ミンチがどんなものだったかなんて関係ない。我々はただハンバーグを作ると言う物語を完成させるために「ミンチ」を買う。ハンバーガーを完成しようとするママンが実は別の家庭のハンバーグの種になる。こんな皮肉なことはない。そしてミンチはみじん切り玉ねぎとこねこねされながら思うのだ。「私を知った気にならないで」と。ならばと私は考えた!もと
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もと腑分けする必要のないものならどうだ?ミンチとして生まれ、ミンチとして生き、ミンチとして死ぬ。幸福なことではなかろうか。これを解放と言わずしてなんと言おう。
生徒A
ミンチとなることを拒否したらどうなるのでしょう。
教師
それは肉のないハンバーガーを作るようなものだ。ヴィーガンには喜ばれるだろうが、ハンバーガーを作る物語を変えねばならない。事態は簡単ではない。パンとなった先代はそうだが、これからパンとする次世代が浮かばれない。
生徒B
ところで。ポルターはなぜ男なのでしょう?
教師
そりゃあ椅子とチョメチョメす︙。
男A
それ採用するんかい。こいつら絶対俺見えてるだろ。てかなんだここ。
教師
おっと、話が盛り上がってしまったな。そろそろホームルームを始めよう。
生徒B
起立!
教師
いや、やめておこう。ここはホームルームだ。規律なんてない。僕は君らのいわば白衣の天使だ。そしてここはホームルーム。ただいまと言って始めよう。
生徒二人
ただいま!
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教師
お帰り。お帰り。ここには二人の生徒がいる。二人に対しては二度お帰りをいうのが教師、そして白衣のママンたる僕のつとめさ。そして(男Aに近づく)。
教師
君にもね。お帰りくるくるボーイ。
男A
見えてんだろ︙。
教師
さぁ席につきなさい。今日の話は世界の話だ。何か世界について質問はあるか?
生徒A
先生!なぜ空は青いのでしょう?
教師
空の上に海があるからだ。
生徒B
先生!なぜ海は広いのでしょう?
教師
大きな鯨が隠れるためだ。
生徒A
先生!なぜ僕はここにいるのでしょうか?
教師
それは神様を夢見てしまったからだ。
生徒B
先生!神はいるのでしょうか?
教師
ああいる。海のどこかに。それを見つけ出さねば未来へ抜け出せない。
男A
先生!
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一同、男Aを見る。

教師
なんだね?ポルター君。
男A
人とはなんですか?
教師
鱗のある鯨だ。

鯨が跳ぶ劇中映像が舞台面全体に映し出される。

生徒B
先生。鯨に鱗などありません。
教師
確かにない。奴らは魚じゃないからだ。だがある。いや、あると思っている。その誇り、寂しさ、尽きることのない現実認識が奴らを鯨たらしめているのだ。
生徒B
あまりに難解です。
生徒A
鱗がなければ鯨ではないのでしょうか?
教師
ちと難しい話だ。だが違うと言っておこう。
生徒B
それはなぜでしょう。
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教師
全ての鯨には鱗はある。問題は鱗を見られたか見られていないかに尽きる。鱗を見られた鯨はもはやクジラという総称に取り込まれた記号だ。
両生徒
では!
男A
鱗とはなんでしょう。
教師
意味だ。またの名を世界のかたちとも言う。それは深い海の中にある。鱗を探せ、鯨を探せ、そうすれば出会うだろう(男Aを見る)。
教師
ゲンザイに。
男A
(立ち上がって)これが全ての始まりか。

迷走部屋の声が聞こえてくると突然少女が教室に入って来る。男Aは少女に気づいてうろたえる。少女は言葉を発するが声にならず、男にゆっくり近づく。

男A
だめだ。近寄るな。ああーー!(窓から落ちる)

暗転。

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十一場 海底

広いエリアに椅子が一つ置かれており椅子にだけ明かりが当たっていて周りは暗い。音楽(Mr.ChildrenのDive)が流れる間椅子の周りの暗いエリアを男Aが歩き回っている。曲が終わるとキャリーケースを持った赤がゆっくり登場し、椅子に座る。男Aはなおも椅子の周りを回っている。あのラジオが聞こえてくる。

MC
はい、始まりました。お便りのコーナーです。このコーナーではこちらに届いたお便りを私が読んでいきます。それでは早速いきましょう。まずはラジオネーム赤いレインコートさん。「いつもラジオ楽しく聞かせていただいております。」いえいえ。ありがとうございます。「このご時世、日々が楽しくありません。最初のうちはせっかくの休みだし何か新しいことをしようと思って家でもできることをしていました。積ん読していた本を読んだりユーキャンの資格に挑戦してみたり。初めは楽しかったです。でもなんと言うか、段々なんのためにこんなこと
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やってるのかわからなくなってきました。そんな時です。いつものお便りのコーナーで翼をくださいが流れました。私が飛びたいのは悲しみを抜け出すため?自由のため?わかりません。でもハッキリと思いました。翼が欲しい。ただただ翼が欲しい。この子にももう一度聞かせてやりたいと思いました(椅子に座る赤は腹を慈しんでさする)。なので翼をくださいをリクエストします。」はい。ありがとうございます。そうでしたか、わかりました。ではリクエストにお答えしてお届けします。翼をください。

翼をください(ピアノ)が流れる。その間、エリアの端にはキラキラした紙のようなものが一筋落ちている。赤は椅子から立って周囲の暗いエリアに移動しキャリーケースを引きずりながら椅子の周りを回る。男Aは椅子に座ってその光の筋を見ている。

男A
ああ、こう言うことだったんだ。これがへその緒、永遠の循環だったんだ。これは落ちているようで落ちていない。人称の問題なんだ。一度見られたら僕はもう
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私ではいられない。私たちとして斜め上に飛び立って自分の鱗を一枚一枚見せびらかしながらひらひら落とす側にならないといけない。それが嫌なら︙。

赤は椅子の周囲をキャリーケースを引きずりながらゆっくり回っている。

男A
死ぬしかない。あの子もろとも。

黒が登場し、椅子に座る男Aの側に来る。

死ぬなんていけない。これ。

黒は饅頭を男Aに差し出す。

食べなさい。
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赤、男Aの目の前に来る。

男A
これを?
ええ。この循環を後の人も望んでいるわ。もちろんあなたの目の前にいる人も。きっと。
男A
いや、僕は︙。

男Aは饅頭を握りながらしばし悩み、少しして饅頭を乱雑にポケットにしまう。

なぜそんなことを。あれを見なさい。

生徒Aは男Bのしていたアフロを被り、椅子の周囲の暗いエリアで饅頭を大切そうに持っている。

生徒A
おかえり(饅頭を食べ、立ち去る)。
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さぁあなたも(男Aに饅頭を食わせようとするが男Aは退ける)なぜ?なぜ受け入れないの?
男A
僕は、私たちになりたくない。まだ、僕でいたい。

男A、立ち去る。

あなたはあの子を見殺しにする気⁉

黒、男Aを追いかけて立ち去る。

また︙。

壁を叩く音と迷走部屋の貼り紙の言葉が大きく聞こえる。

そう!そうだったわ先生!この周期が、この周期に意味があるのね。継続は力な
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り、努力は報われる。どんな動物も周期の中で暮らしている。この周期に、価値︙。違う。私ただの動物じゃないもの。違いがないと。違い?違いなんてあるの?ないわそんなもの。この音もいつも一緒。「誰か!ここから出して!」そう言ってるの?(客席を見つつ)あなたも?私みたいに?あなたどこにいるの?さっきの一回きり?外に出して!ねぇ答えてよ︙私の神様︙(倒れる)。

暗転。

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十二場 巣

先ほどと同じエリアだが舞台中央には椅子に加えて机があり、机にはノートパソコンと饅頭の入ったビニール袋が置いてある。赤は起き、ゆっくり椅子に座る。後方のスクリーンには、zoomでの授業風景が投影されている。画面には教師と生徒A、生徒B。教室のエリアには教師が出て来る。

教師
諸君、始めよう。出席を取る。1番。元気ですか?2番元気ですか?3番(以降静かに点呼を取る)。
これって何?私見えてるの?
教師
おーい。誰かマイク入ってるぞー。
(驚いて)すいません︙。
教師
てか君呼ばれた?
いえ︙。
83
教師
じゃあ0番元気ですか?

暗転。

赤、立ち上がってパソコンの画面から赤い糸を引き出していく。

どれも違う。どれをたどっていっても私にはたどり着かない。何を寄せ集めても。この海を泳いでも。私は胸、じゃない。私は肺、じゃない。私は心、じゃない。私は愛、じゃない。私は記号、じゃない。私は0番、じゃない。(だんだん引き出すのが遅くなっていく)じゃあどうやって名前をつけましょう。「ただいま」と言う私を。私は拾います。このモノを。(糸を引き出すのはやめ、机の上のビニール袋を拾う)何にも名付けられていないこのモノを。これは叩いてくれますいつもと違ったペースで。これは教えてくれます世界は美しいということを。私はこれです。私はこれ。あなたにあげます。決して落とさないように。決して忘れてしまわないように。
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黒が登場すると赤は饅頭を黒に渡す、赤はそのまま立ち去る。

しかと承りました。

黒、立ち去る。
映像は消え、暗転する。音声だけが聞こえる。

教師
おーい。0番?ったく、しょうがない奴だな。まぁ授業を始めよう。おかえりみなさん。今日の授業は世界の話だ。なに?前もそうだったって?そうだ。ただ「前」というのは正しくない。前も後ろも上も下も区別なく、全て世界に関することだ。英語に科学、世界史、精神分析まで全てが世界の話だ。この世界の質問を受け付けよう。
生徒A
先生!鯨はなぜ跳ぶのでしょうか?
教師
網にとらわれたままは嫌だからだ。
生徒B
先生!網とはなんでしょうか?
85
教師
網は海だ。網は世界だ。網とは私たちが生きる上で最も必要で、同時に最も憎む
べきものだ。
生徒A
先生!鯨はなぜ逃げようとするのでしょうか?
教師
逃げじゃない。鯨は、鯨たる人間は尊敬しているんだ。内なる系譜に。そして人間は挑んでいるんだ。外の世界に。
生徒B
先生!鱗を持ったまま過去に敬意は示せません。そして世界に生きる時点で世界には挑めません。
教師
君は忘れたのかあの箱舟を。あれに乗れば救われる。だが、乗るのは最早私たちのつがいの代表ではない。時間の三位一体たる絶対的一人称の私だ。

少女、迷走部屋の中に登場。

少女
ここは、さっきの教室は︙?
生徒A
先生!では、その箱舟には、どうすれば︙?
少女
ここは、教室なの?先生︙?
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教師
全ての人間に箱舟は備わっている。過去と未来、そして瞬間的な覚悟がエンジンをかけるだけだ。歌え。未来は語るものでも募るものでもない。未来はただ静かに歌うだけだ。
少女
歌う︙。

少女、「翼をください」を静かに歌う(アカペラ)。
少女の後ろでは紙が落ちている。

少女
私は待ちます。いつまでも。あなたが受け止めてくれるまで。

暗転。

87
88

十三場 路地裏

路地裏の椅子には占い師が座っている。迷走部屋には少女がいるが照明は当たっていない。
キャリーケースを持った男A、登場。

占い師
ちょっとそこの人!
男A
僕ですか?
占い師
あんた、占ってやろうか?
男A
何をですか?
占い師
占いで占うことなんて決まってる。未来だよ。
男A
未来はまだ来てないから未来なんです。僕らは後ろ向きで前に進む者。見えるのは過去でしかあり得ません。
占い師
なるほどちゃんと守ってるじゃないか。だがね、突然サメに腹を蹴られたり海に
89
落ちたりの偶然が起きるのは私たちの話の中だけだ。神の話ではそんなことは起きやしないんだ。
男A
さっきからなんの話をしているんです。
占い師
世界の話だ。いつでもそうだ私たちが語るのは世界の話でしかない。世界の話を
聞かないのは世界から飛び出た三位一体の神しかいない。
男A
つまり?
占い師
内なる未来は静かに待っている。自分が統一されて神になるのを。一昨日来たあんたは横をチラチラ見ながらビクビク進むカンニング魔だった。だがあんたはまたここへ来た。どんなやつでも言葉は隙間から心の中に入って来てしまう。ぴったり閉じても無駄。そして言葉を恐れて箱を開けることさえもできなくなってしまう。歌い疲れたとさ。あんたの連れは。これ(手鏡を男Aに渡す)。のぞいてみな。

男Aは鏡を覗き込見ながら舞台上をうろつく。

90
占い師
何か見えるかい?
男A
しがない男が一人。
占い師
男なのかい?
男A
はい。
占い師
なんて言ってるように見える?
男A
なぜ受け止めないのかと。
占い師
そいつはなんて答えている?

鏡には迷走部屋に座る少女が映り、鏡に反射した光が少女に当たる。
光が当たっていることに気づいた少女は迷走部屋の壁をドンドンと叩くそぶりをする。

男A
聞こえないんだ。と。
占い師
聞こうとしてないんだ。壁を叩いたって聞こえなけりゃわかりはしない。見つけられるのは目だけじゃない。
91

男A、胸に手を当てる。

占い師
どうだ?

少女は迷走部屋の壁を叩いてドンドンと音を出す。

男A
ドンドンと壁を叩く音が聞こえます(胸を抑えて苦しそうに倒れこむ)。
占い師
どうした苦しいのか?
男A
聞こえてくる。待ちますと。どうすればあそこから逃してあげられるんです?
占い師
全ての過去を開け、箱舟に乗せるんだ。
男A
その箱舟はどこにありますか。
占い師
ある始まりの場所に。
男A
十分です。
占い師
お代は?
男A
おととい来る者へ付けといてください。
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男A、立ち去る。

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十四場 病院の診察室

病院の診察室だが中央のエリアで行う。男Aと医者が向かい合って座っている。キャリーケースが傍らにある。雨音が静かに聞こえる。

医者
今日はどうされましたか?
男A
(無言)。
医者
おっと。こりゃ失礼。少し上からでしたね。今日は何かございましたでしょうか?
男A
(無言)。
医者
ふう。困った。こういう時は聞くに限るんですが。
男A
いえ、そうではなくて。
医者
おっ。どうされましたか?
男A
少し、少し診断待ってもらえませんか?またすぐ来るんで。
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医者
え?ああ︙。全然大丈夫ですが。何かありましたか?トイレとか?
男A
トイレではないんです。あの場所は。この世界の始まりはトイレの個室なんかじゃないんです。あの場所へ、僕の生まれるあの場所を教えてください。
医者
あなたが生まれる?
男A
そうです。僕がこの世界に誕生する。
医者
どうもわかりかねます。まぁとにかく。順番後ろにずらしときますね(メモに走り書きをする)。これ受付に見せといてください。0番でお呼びします。
男A
ありがとうございます。

男Aがキャリーケースを携えて診察室を出るとカーテンのかかった病室があった。途中黒とすれ違うがお互い気づかない。

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十五場 病室

男Aが「少女をキャリーケースにつめた」病室には白い布が被されたものが置かれている。

男A
そうか︙ここだったんだ。僕の探していたのは。

カーテンをくぐって部屋に入ると雨音と迷走部屋の声が大きくなる。
白い布の下には飛行機がある。

男A
飛行機とはこのことだったのか。おおい!君は!君はどこにいる⁉ 答えてくれ!飛ぼう!ともに飛ぼう!この世界と同じになって世界の端から端まで!

少女の待機する迷走部屋に照明が当たる。

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少女
わからない。上も下も右も左も。何にも分からないの。声に、言葉にならない声に飲まれて。何も。

男Aはポケットから饅頭を出し、ゆっくり食べる。音がやみ、それと同時に音楽がかかる。少女が翼をくださいを歌う。歌う間、キラキラした紙が舞台面全体に降る。歌に気づいた男Aは少女に駆け寄る。

男A
行こう。

飛行機のエンジン音が鳴り響く。
男Aはキャリーケースを投げ出す。
両者、飛行機に乗り込みそのまま退場する。

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